中日新聞朝刊一面のコラムが頭悪すぎて吐きそう

 <きゅうしょくの おだかせんせい ほいくえん やめちゃうんだって>。千葉の六歳の子が書いた詩「きゅうしょくのせんせい」は、ほんわかした作品だ
<中略>
国連によれば、世界で食品の三分の一が捨てられている。その量は年十三億トンで、百兆円相当。そんな時代だから残さず食べるということは、給食の大きな目標になる
▼東京都調布市の小学五年の女の子も食物アレルギーを抱えつつ、学級の「給食完食」という目標に協力しようとしていたという。その日の献立は不人気で、食べたがる子は少なかった。だからこそ、進んでおかわりをしたらしい
▼女の子は給食後、激しいアレルギーで命を落とした。昨年末のことだ。「いつも誰かの役に立つ人でいたいという思いが、このような結果を引き起こす事になろうとは」というご両親の談話が深く胸に染みる
▼学校側のアレルギー食材の確認不足や薬剤投与の遅れなどが悲劇を招いたとされる。ことは、調布だけの問題ではない。すべての子に安全安心な給食を−。ご両親の思いが、日本中の学校でかなえられるといい。

この記者は、「残さず食べるということを目標にすること」には何の疑問も抱いていない。
いくら気を付けていたって、うっかりアレルギー食材が入ってしまうことはあり得るわけで、その場合に児童に食べずに残すという選択肢が保証されていれば、事故を回避できる可能性は高まる。
また、児童たちの学校外での生活や、卒業後のことを考えたとき、「残さず食べる」ことを良しとする考え方は大きな枷になる。外食時や食事に招待されたときに食事にアレルギー食材が入っていた場合など、食事を残さざるを得ない状況はいくらでも発生する。「残さず食べる」ことが奨励されることによって、大勢の人達が負い目を感じさせられることになる。
以上のようなことは少し考えれば分かりそうなことだが、食べ物は残さず食べることが大事だというステレオタイプの思想に捕らわれ、考えることができないのだろう。もしくは、アレルギーについて理解できていないのか?だとすれば怠慢という他なく、学校の対応を批判する資格は無い。